第11回〔1994(平成6)年〕

1994 大賞
「すったもんだがありました」
受賞者:宮沢りえ(女優)

タカラ「カンチューハイ」のテレビCMで宮沢が言うセリフ。本格的な景気後退が続く世相から、さまざまな「すったもんだ」があった一年であったが、視聴者は宮沢の私生活を連想した。大関(当時)貴ノ花との婚約とスピード解消、ともすれば暗く深刻になる事実を逆手に取り、さりげなくサラリとクリアした。ここは巧みで、したたかなCM制作サイドの作戦勝ち。




1994 大賞
イチロー(効果)
受賞者:鈴木一朗(オリックスブルーウェーブ)


1994年、プロ野球に新星が華々しく登場した。イチローこと鈴木一朗。右足を大きく振る“振り子打法”をひっさげ、前人未踏の年間200本安打を達成。この年、スポーツメディアはイチローの安打数を報道し続けたといっても過言ではない。イチローの活躍により波及効果が生まれ、これを「イチロー効果」と言った。




1994 大賞
「同情するならカネをくれ」
受賞者:安達祐実(女優)


日本テレビ「家なき子」で、主役の少女(安達)が言うセリフ。建前で生きる世間に対し、少女が放ったこの一言は強烈なインパクトがあり、話題騒然の流行語となった。“パクリ”だとかの批判も多かった野島伸司の脚本だが、1994年の話題を独占したことは間違いない。




1994 トップテン入賞
価格破壊
受賞者:中内功(ダイエーグループ)

円高が続きながら、なぜか物価は下がらない。庶民の不満に応え、「価格破壊」に乗り出したのがダイエーグループ(中内会長)。中内は破壊ではなく「正常化」と言うが、物価下落の最大の功労者との評価もある。複雑な商品流通システムにメスが入り、オープン価格制度が導入されるなど「価格破壊」は日常語になった。




1994 トップテン入賞
ヤンママ
受賞者:田村恵子(〔株〕笠倉出版社)


茶髪に派手なファッションの若い母親が急増。ヤングでヤンキーなところから、「ヤンママ」と呼ばれた。従来の“母親像”とはかけ離れた、この若いママ集団に注目し、「ヤンママクラブ」と名付けたのが雑誌編集者の田村。ネットワーク誌を出すなど、ヤンママたちのサークル作りを助けた。




1994 トップテン入賞
新・新党
受賞者:小沢一郎

前年からの「新党」ブームの“真打ち”として、「新・新党」の発足が打ち上げられた。準備委員長としては“壊し屋”として定評の高い新生党の小沢が選ばれた。結局、正式な党名は新進党と決まったが、“しんしんとう”と音が同じだから良いだろうとの安易な発想に先行きを危ぶむ声が多かった。




1994 トップテン入賞
大往生
受賞者:永六輔

“死”という取っ付きにくいテーマを、明るく、伸びやかに表現して大ベストセラーとなったのが『大往生』(永六輔著)。無名の人が語る死や老いの問題を、永の持つ独特のユーモアと優しさで包み込み、類いまれな「死生観」が表出されている。




1994 トップテン入賞
人にやさしい政治
受賞者:保留

村山富市が首相就任時に言ったセリフ。急場の組閣で内容が詰められなかったという同情すべき点はあるにしても、「人にやさしい政治」が政治テーマとはあまりにお粗末、と庶民はズッコケた。肝心の「人にやさしい」部分も不明であり、言行一致が明確になるまでは表彰を保留。




1994 トップテン入賞
契約スチュワーデス
受賞者:表彰者なし

経営悪化が進む航空各社は、正規のスチュワーデスの代わりに「契約スチュワーデス」を採用することを決定。これに対し、亀井運輸大臣は「乙女心に付け込んで」と契約制度に異議を唱え、時ならぬ「乙女」論争に発展した。女子学生受難と言われる、1994年の就職戦線を象徴する出来事であった。なお、受賞者は各航空会社の辞退により無しとなった。




1994 トップテン入賞
関空(かんくう)
受賞者:服部経治(関西国際空港社長)

日本初の24時間利用可能の海上国際空港「関西国際空港」がオープンした。略称「関空(かんくう)」は、いかにも関西らしいネーミングと好評で、瞬く間に呼び名が定着した。




1994 審査員特選造語賞
ゴーマニズム
受賞者:小林よしのり(漫画家)


“独断と偏見に満ちた傲慢主義”が売り物の漫画「ゴーマニズム宣言」(小林よしのり作)は、過激に現代世相を斬り、若者に人気となった。本音を剥き出して“傲慢”になることが、管理社会に圧し潰されている若者には小気味よく映り、ヒットした。小林の造語である「ゴーマニズム」は、若者の一部では“新思想”のような扱いを受けた。




1994 審査員特選造語賞
就職氷河期
受賞者:長薗安浩(就職ジャーナル元編集長)

雑誌『就職ジャーナル』から生み出された造語。就職環境の悪化は産業構造の問題であり、当然に一過性のものではなく長期的、本格的なものとの視点から「就職氷河期」と名付けられた。1994年の大卒就職難は社会問題ともなり、「就職氷河期」を否応なく実感させられることとなった。